DXとは何者か、何が得られるのか。

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個人的な趣味の範疇でやっている研究です。何らかの答えを求めて、この投稿にたどり着いたのであれば、ブラウザバックを推奨します。ここに書かれていることは戯れ言です。

近年、デジタルトランスフォーメーション(DX)という言葉を聞くようになりましたが、結局のところ何なのかが分からない。色々と調べ、上っ面の理解はできているとは思うが、本質的に何であって、結局のところ何を目的としているのかが見えてこない。もしかしたら、無いのかもしれない。上っ面だけの浅い理解でDXを簡単に語ると、おそらく「変化が激しい市場に対応できる組織を作る」あたりになるかもしれないという結論までは出せました。

色々と調べている過程でなぜDXが分かりにくいのかが少し見えてきた気がした。DXの意味が複数存在し、複数の意味のDXを同じ土俵で殴り合わせている為、現代の日本式闇鍋DXが出来上がっているように思える。

技術的な側面のDXと経営的な側面のDX、さらには国や社会と言った集団に置けるDXは、別物であり、それぞれ独自の視点があるのはもちろん見ているところが全然違うとも感じた。

さらに複雑にしているDXとしてマーケティングも存在している。まったくAIなんて関係ないのに、それっぽい感じを出したいからAIという言葉だけを取り出しキャッチコピーとして利用するプロダクトと似たようなもので、DXを求めている企業に何かそれっぽい製品を提供するときに、DXという言葉だけを取り出してキャッチコピーとして利用する。こんなDXも存在するために、もはや言葉の意味が分からなくなっている。

もちろんこれがすべて悪という訳ではないと思う。ニュアンスや雰囲気を伝えるときに、それっぽい言葉があることでスムーズなコミュニケーションが可能となることもあるし、世の中に浸透する。そういう意味で闇鍋DXも悪くはない。

問題は闇鍋DXが浸透しすぎて、本質的なDXに誰も届かなくなっている。というか、本質が何もなくなっている。ついでにゴールもなくなっている。